倉田保昭が語る和製ドラゴン確立への道、Gメン75降板理由と苦しい己を支えた日本歌とは

和製ドラゴンが歩んだ山あり谷ありのアクション人生とは・・・

元千葉県知事で俳優・タレントの森田健作がMCを務める熱血トーク番組。
『森田健作アワー 人生ケンサク窓』BS日テレ、毎週土曜日 9:00~9:30)

森田健作が同じ時代を生き抜いてきたゲストと共に人生を振り返り、今を生き抜くヒントを次の世代に授けるという番組に、80歳で現役のアクション俳優・倉田保昭が登場。
アクション一筋60年の人生を熱く語ってくれました。


倉田さんと言えば、主な仕事の舞台は「香港」

でも、小さい頃から香港に渡りたいなどと思ってはいなかったが、俳優という職業への憧れはあったとのこと。
お金をいっぱい稼げて、いいクルマに乗れて、女性からもモテるというイメージを持っていたからだといいます。

「空手」を習うキッカケは、父親が習っていたからだそうですが、父のカラテはカラテでも『唐手(からて)』
これは、「空手」の起源となった琉球王朝時代の武術で、相手の急所だけを狙うものだそう。
首、目、みぞおち、そして金的。
父親は、その練習で小さかった倉田さんの急所を狙ってきたという。
そんな父に嫌気がさした倉田さんは、もう父との練習につき合うことをやめ、空手の先生に弟子入りして空手を始めたそうです。このとき、倉田さん8歳。

その後、倉田さんは、高校で柔道、大学で合気道を学びます。
これは、ちゃんと武道を習えば、所作すべてがキレイになる、という父の教えだと。

倉田さんが通った大学は、日本大学芸術学部・演劇科。
高校卒業後、映画監督とか俳優になりたいという気持ちが芽生えたことから、なんと親に内緒で日大を受けたそうですが、合格を親族に伝えたところ、「芸能界でなんか食えるわけないだろ!」と一喝されたそう。
でも、芸能の道に進むため入学すると、同学部の同級生から「今、東映でお前みたいなガラに合った奴を探しているみたいだから、東映に行ってみたら!」と。
そして、1966年、東映の研修生に。

でも、入ったはいいけど仕事が来ない。
来ても、後ろのほうに立つエキストラ役。

「もうダメかな・・・俺の人生」と落ち込んでいたら、知り合いから「香港映画のオーディションがあるようだけど受けないか?」との話が。
そして、会場のホテルに行ったら、映画会社ショウ・ブラザーズを創設した香港映画の父と言われるランラン・ショウ氏(1907~2014)がいたという。
またその頃、香港では剣を振り回す映画から拳を使う映画に変わりつつあるときでもあったことから、倉田さんのプロフィールを見た監督が倉田さんを選んだといいます。

さあ、香港へ。

でも、これといった仕事ができていないので、飛行機代がない。
泣く泣くせちがって結局、親が出してくれたけど、電車に乗ったとき、乗客が持っていたラジオから流れていた坂本九さんの「上を向いて歩こう」を聞いて、涙があふれ出たという。

こうして香港にやってきた倉田さん。
アクション映画の撮影に入ったら「俺が求めていたのは、コレだぁ!」
好きなように自分の持ち味で日本では出来なかった寸止めパンチが打てる。
そして、フィルムも日本と違って好きなだけ回してもらえる。
日本では、フィルム代が高いそうで、一回か二回でOKが出てしまうらしいです。
そのため、自分がしたいアクション演技ができなかったことも。

そんな倉田さんの香港映画デビュー作は、こちら。

中央・倉田さんの両サイドにいるデビッド・チャン、ティ・ロンは、当時の香港のトップスター。
ブルース・リーが出てくる前の時代です。

香港映画は、東南アジアが一大マーケット。
マーケットが広ければ、売り上げが上がって出演者のギャラも高くなる。
倉田さんの懐もだんだんと潤ってきたようです。

そんなとき、日本の大御所俳優・丹波哲郎さんが香港映画を撮っているという情報が!
それを伝え聞いた倉田さんは、丹波さんに電話したそうです。
「ボク、香港で活動しています日本人の倉田といいます。今度、お会いできませんか?」
すると、「いや、今、忙しいからまたね。」と丹波さん。
一方的に電話を切られたと。

その丹波さん、倉田さんというと、

そう、Gメン’75 (TBSテレビ)での共演がありました。

黒木警視と草野刑事。
私もよく観てました。

そのGメン’75で一緒になったとき、
「ボク、電話したんですが・・・」
「うん、覚えてるよ。」
ここでも丹波さんはそっけない返しをしたそうです。

しかし、Gメン’75は、1975~1982まで放送されましたが、
倉田さんは4年ほどやって途中で降板しています。
それは、倉田さんが自ら降板を申し出たんだそうです。
その理由は、
倉田さんは、Gメン’75の前に放送されていた『バーディー大作戦』というアクションドラマに出演していました、
そして、Gメン’75が始まったら
「ん? 俺はこのまま出てていいのかな・・・」と思い込むように。
アクションがなく、ほとんどセリフ劇となったことで、
「これは自分が求めているものじゃない。居心地が悪いなぁ・・・」
もう一度、アクション映画の世界で勝負したいと思うようになったといいます。

でも、周りからは「辞めるな!」
丹波さんからは「じゃぁ、少し休みなさい。」と言われたそうです。

それから、倉田さんがGメンに出ることはなくなりましたが、
Gメンでも倉田さんの見ごたえのあるアクションシーンはあったんですよ。

香港カラテシリーズです。

「香港カラテ 対 Gメン」と銘打って、たまにしか放送されませんでしたけど、やるときはいつもスペシャル版として2週にわたって放送していました。
私は、これがとても楽しみでした。

そして、もう一つ、
倉田さんのTVアクションというと、
東京12チャンネル(現・テレビ東京)で放送していた
『闘え!ドラゴン』

毎回、悪の組織「シャドー」から送り込まれる戦闘員との激しい闘い。
言ってみれば、仮面ライダー対ショッカーの「人間版」です。

このドラマで倉田ドラゴンと闘う悪役には、結構、有名人が出ていました。
キックの沢村忠、安岡力也、プロレスラーのマンモス鈴木、キカイダー01の池田駿介など。

1974年7月から始まったこの番組は、全26話でした。
もう少し長く観たかったです。

というような感じで、倉田保昭さんについて書いてきましたが、

坂本九さんの『上を向いて歩こう』
今や世界で知らない人はいない!と言ってもいい名曲ですよね。
倉田さんは、香港での苦しい時も
日本にいた頃の仕事がなかなか来ないときに電車の中で聞いて涙したこの曲が頭の中に流れてくると言っています。

倉田さんは、現在80歳。
今も現役のアクション俳優です。
今年7月には、新作の映画『夢物語』が上映されます。 → こちら

あと、どのくらい頑張りますか? という森田さんの質問には
やってあと1~2年かなぁ・・・と。
奥さんからは「もうやめてほしい。離婚するよ。」と言われているようです。

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