俳優・藤岡弘、さん
70歳を超えても渋くてカッコいい俳優さんです。
今、テレビ朝日系列で「仮面ライダーゼロワン」が放送されています。
令和になって誕生した仮面ライダーですが、平成の時代にもたくさんの
仮面ライダーが誕生しました。
しかし、仮面ライダーは平成の前「昭和」の時代から生まれています。
その昭和・仮面ライダーの第1号が藤岡弘、さんです。
その藤岡さん、仮面ライダーの撮影中にオートバイで大事故を起こし、
突然、TV画面から藤岡ライダーが消えました。
しかし、カムバックはまず無理だろうと言われているなか、奇跡の生還!
そんな藤岡さんの諦めない気持ち、不撓不屈の精神を
今もし瀕死の重傷を負っている人たちがいるのであれば届けたい!と思い、
今回、記事投稿いたします。
目次
瀕死の重傷を負っている若者たちよ!
藤岡弘、の壮絶バイク事故からの生還劇を知れ!
出典元:https://news.yahoo.co.jp/
まず、こちらが藤岡弘、さんのプロフィールです。
【名前】 藤岡 弘、(ふじおか ひろし) (本名は、藤岡 邦弘) 【生年月日】 1946年2月19日 【出身地】 愛媛県上浮穴郡久万高原町 【身長】 180㎝ 【血液型】 O型 |
藤岡弘、さんと言うと俳優業で活躍しながら、最近では旅の番組に出たり、
サントリー珈琲「クラフトボス」のCMでは、宇宙人ジョーンズと共演し、
山の中で出てきた蛇に立ち向かう姿を演じるシーンが思い浮かびます。
その藤岡さんが仮面ライダーを演じていたことを知らない人は多いでしょう。
私はその当時、小学生でしたが毎週夢中になって観ていました。
ちょっと、その頃の仮面ライダー昭和時代にプレイバックしてみましょうか。
・藤岡弘、は仮面ライダー1号
仮面ライダーというと、
平成時代には「クウガ」や「アギト」など様々な仮面ライダーが放送されてきており、
令和になってからは、仮面ライダー「ゼロワン」が放送されています。
若いイケメン俳優さんの変身シーンには、子供たちだけでなく、お母さんたちも
TV画面にくぎ付けとなっているようです。
その仮面ライダーシリーズですが、
仮面ライダーは、昭和の時代に誕生しており、
藤岡弘、さんがその第1号である本郷猛を演じています。
その藤岡さん演じる仮面ライダーは、1971年4月3日に放送開始。
一番の見どころである変身シーンは、藤岡さんがバイクに乗りながら腰に付けた
ベルトの風車が風圧を受けると仮面ライダーに変身するというものでした。
そして、驚くなかれ!
変身したあとも、藤岡さんが仮面とコスチュームを身につけ、悪の組織ショッカーが
送り込む怪人と闘っていたのです。
マスクかぶるのは通常はスタントマンだと思いますが、そこも藤岡さん自身が熱演。
マスクをかぶってのアクションは視界が狭まり頭の部分も重たくなるので過酷だった
ようです。
あ
あ出典元:https://ameblo.jp/cyclone1226/ https://www.pinterest.jp/pin/
その仮面ライダーの撮影は、1971年2月にクランクインしたそうですが、
4月の初回放送が始まる前に藤岡さんは撮影中にバイクで大事故を起こしてしまいます。
それにより、藤岡さんのライダー撮影ができなくなってしまったので、スタッフは番組を
終了させようかと考えたようですが、全国の子供たちのことを考えて番組続行を決定。
ストーリーは、藤岡さん演じる本郷猛はショッカー・ヨーロッパ支部に立ち向かうため、
ヨーロッパに行ったことにして、日本では仮面ライダー2号が誕生。
俳優・佐々木剛さんが一文字隼人として人気番組を引き継ぎました。
藤岡さんは、自分が演じる仮面ライダーの記念すべき初回放送を病院のベッドから
身動き取れない状態で観たそうです。
その藤岡さんが起こしたバイク事故とは、どのような事故だったのでしょう。
それはもう重傷の域を超える壮絶極まりないものだったようです。
次の見出しでお伝えします。
・瀕死の重傷からの劇的生還!その内容とは・・・
藤岡弘、さんの事故は、
仮面ライダー1971年4月の放送開始前、東京・町田市付近でロケを行なっているときに
起きました。
出典元:https://dougarider.com/
オートバイに乗って下り坂を走行中、カーブにさしかかりスピードを上げたところ、
そこのロケ地は、工事現場であったことから道には砂利が転がっていたため、
バイクがスリップ! 藤岡さんはそのまま曲がり切れずに電柱に激突!
そのとき、左足が電柱を支えるワイヤーに引っ掛かったことでワイヤーが跳ね上がり、
その反動で藤岡さんはバイクとともに跳ね上げられて数十メートルも吹っ飛ばされ、
道路に叩きつけられたといいます。
叩きつけられたときはまだ意識はあり、左を見ると左足が変な曲がり方をして顔の横に
あったそうです。
その左足を手で元の位置に戻して親指を動かしてみたら動いたので「まだ神経は通っている」
と思った途端、激痛が走り、そこで気を失ったそうです。
症状は、大腿骨の粉砕骨折。
骨の破片が筋肉に刺さっているということで、これまでの医療技術では手の施しようが
ない状況だったといいます。
最初に運ばれた病院には、藤岡さんと同じ足を骨折した若者がいたそうですが1年たっても
まだ松葉杖をついていたということで、藤岡さんは別の病院へ移ることを考えます。
そして、藤岡さんの母親が出会った人の知り合いが紹介してくれた病院へ移転。
そこで藤岡さんの骨折具合を重く見たドクターは他の患者さんより藤岡さんの手術を優先。
これまでの手術では駄目だと「ベトナム戦争で開発された新しい手術方法」を試してみる
ことに。
しかし、藤岡さんの足は、大腿骨が粉々で足が3倍近くに腫れあがり、折れた骨の破片が
筋肉に突き刺さっている状態。
採った手術では、筋肉に刺さった破片を筋肉を切って1つ1つピンセットで抜いて、
大腿骨の骨髄のなかに金属パイプを通して骨とジョイント。
そこに砕けた骨の破片をすべてくっつけて針金で巻くという、最新の手術法でも丸一日
かかったそうです。
完全に回復するかどうかはわからないが、これまで実例がない手術を無事終えたという
ことで病院側も安堵したといいます。
大手術が成功し、第一関門突破。
このあとは、地獄のリハビリがまたまた藤岡さんを苦しめます。
切った筋肉を回復させるためには、とにかく筋肉を強化しなければいけないということで
そのままにして退化させてはいけないと、整骨院の先生が藤岡さんに無理難題ともいえる
運動メニューを与えたそうです。
藤岡さんは柔道で鍛えた精神をもって、そのメニューをこなし体をいじめ抜いていきます。
時には炎症を起こし高熱も出たときがあったようですが、とことん筋肉に刺激を与え続けて
いきました。
切らずに残った筋肉を圧力を与えることで膨らませ、切った筋肉を補って回復させるのだ
そうです。
気がついたら床には汗の水たまりが・・・そんなリハビリを半年間続けました。
ここまで頑張れた理由は、
自分の事故で迷惑をかけた番組スタッフへの思いと毎日看病に来てくれた母親の存在だと
藤岡さんは言います。
このままきついリハビリを続けていって本当に治るのか?という不安と闘いながらも
「負けるもんか!」という強い思いを持ち続けたことで、不死鳥のごとく藤岡さんは甦り、
再び、仮面ライダーの撮影現場に戻ってきました。
出典元:https://www.youtube.com/
ヨーロッパから帰ってきた本郷猛は、あの右腕を斜め上に上げる新しい変身ポーズを
引っ下げて仮面ライダーに変身します。
そして、それまで一人で日本をショッカーから守ってきた一文字隼人との共演は、
ダブルライダーとして人気が爆発しました。
私もこのダブルライダーが出る放送日は、もう楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
藤岡弘、さんの復活劇、いかがでしたか?
絶望!再起不能!とまで言われた藤岡さんのバイク事故。
顔や頭を打たなかったのは、不幸中の幸いといっていいと思いますが、
大腿部の粉砕骨折と聞いただけで背筋が寒くなる思いがします。
しかし、藤岡さんは「諦めない気持ち」を持ち続けて見事カムバックしました。
もし今、藤岡さんと同じような瀕死の重傷を負っている人たちがいたら、
ぜひ、この藤岡さんの例を見てほしいと思います。
医療技術も藤岡さんの1970年代に比べると目覚ましい進歩を遂げているわけですし、
希望を捨てず「必ず、治る!」という思いを強くして治療にあたってください。
まとめ
最後に、藤岡弘、の「、」の意味についてお話します。
このような名前のあとの「、」を打っている俳優さんは藤岡さんだけでしょう。
その理由は、
『昔の武将は、一度「、」を打って決意した。周囲に流されることなく立ち止まり、
自分を見つめる』という覚悟と『我、未だ完成せず』の意味を込めて、
自分の名前に「、」を打つことにしたそうです。
これからの藤岡さんの活躍に期待したいと思います。