試練続く相撲協会のトップ八角理事長、若き頃の勇姿とついたあだ名は●●ドッグ!

日本相撲協会が苦境に立たされています。
新型コロナウィルスの拡大防止のため、三月場所は無観客で決行。
続く五月場所はどうなる・・・と注目されていましたが、
初日を二週間延ばすと発表するも、新型コロナの感染者や死者が増大し、
全国に緊急事態宣言が出されたこともあり、五月場所は中止となりました。

その日本相撲協会のトップである八角理事長
日本の国技を見せられないことで、眠れない日々が続いていると思いますが、
今後の対策も練っているはずです。

今回は、その八角理事長について書いてみます。

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試練続く相撲協会のトップ八角理事長、
今後の大会場所への施策は?

八角理事長は、第61代横綱・北勝海です。
力士のなかでは、決して大きな体格ではありませんでしたが、
機敏な動きと強い突き、押しを武器に優勝杯も8回受け取っています

その八角理事長のプロフィールは、こちら。

【本名】 保志 信芳(ほし のぶよし)
【生年月日】 1963年6月22日
【出身地】 北海道広尾郡広尾町
【身長・体重】 181㎝、150㎏
【血液端】 A型
【現職】 第13代日本相撲協会理事長、八角部屋の親方

八角さんは、現役時代は「九重部屋」所属。
親方は、場所が始まるとNHKアナウンサーと一緒に解説席を陣取っている
あの北の富士勝昭氏。
兄弟子に、横綱・千代の富士がいます。

出典元:https://www.bbm-japan.com/

八角さんは、1979年三月場所で初土俵。
その当時の四股名は、本名の「保志」でした。
稽古に稽古を重ね、入門から7年目、1986年の三月場所で歓喜の瞬間が訪れます。
兄弟子の千代の富士が3日目から途中休場したことで奮起した保志は、13勝2敗で初優勝!
翌日のスポーツ紙朝刊には、一面にデカデカと「保志、輝く!」と出ていました。
また、保志関は、休場した千代の富士関に「大将、やりましたぁ!」とコメント。

そして、大関昇進と同時に四股名を「北勝海」(ほくとううみ)に改名します。
北海道生まれからこのような四股名がつけられたようですが、
「勝」を「とう」と読むのは、出身が「十勝」地方であることから
そのような読みにしたと言われています。
それ以降も白星を積み重ね、1987年には横綱に昇進。
優勝回数も8回を誇ります。

1992年に引退してからは、八角親方として後進の指導に当たってきましたが、
2015年12月、それまで理事長を務めていた元横綱・北の湖さんが亡くなったことで、
八角さんが理事長に選出されました。

そして、
今回の新型コロナウィルス騒動
八角さんが理事長に就任してからは、横綱・日馬富士の貴ノ岩への暴力事件など
角界を揺るがす問題が勃発したりしましたが、
今回の新型コロナは、それ以上の大打撃!
観客を呼ばずに興行を行なったり、力士や親方の新型コロナ感染、
さらには、28歳の若手力士がその新型コロナで亡くなるなど・・・
日本相撲協会の根底を崩しかねない状況となっています。

出典元:https://www.asahi.com/

五月場所は、日本全国に緊急事態宣言が発令されたことで中止に。
次戦の七月場所は、また無観客で開催すると言われています。

しかし、今は緊急事態宣言も解かれ、
徐々に街の飲食店や商業施設が営業時間などの条件が付きながらも営業を再開して
きていますし、プロ野球も6月19日に無観客で開幕することが発表されました。

無観客興行はいったいいつ頃まで?
緊急事態の解除により、街や行楽地に人が戻ってきました。
もちろん、みんなマスクは着けていますが、とくに人との距離もおかず、
なかには手を繋いで歩いているカップルもいます。

無観客興行、
その先駆けという感じで、大相撲が三月に実践しましたが、
これから観客席に「間」を空けることでお客を呼ぶということは可能なのでしょうか?
野球のスタジアムと違って、相撲の会場は体育館なのでキャパは大きくありません。
両国国技館のマス席も1マスに1人?
そのような形でお客さんを呼んでも3分の1くらいの入りになってしまいますね。
まだまだ無観客は続くのでしょうか。

どのスポーツでも入場収入が入ってこないのは、厳しいですが、
今は、とにかく「安全を確保して試合を見せる」ということなのでしょう。

八角さんもいろいろ考えていると思います。

とにかく、早く早く!ではなく、焦らずじっくり・・・
様子を見ながら少しずつお客さんを会場に呼び戻せるようになってほしいと思います。

試練続く相撲協会のトップ八角理事長、
若き頃の勇姿とついたあだ名は●●ドッグ!

八角理事長の現役時代を知らないという人、多いと思います。
ちょっとプレイバックしてみましょう。

この動画は、
八角さんの前に理事長をしていた横綱・北の湖さんとの一番です。
1984年の五月場所。
このとき、八角さんは前頭筆頭の「保志」として横綱に挑んでいっています。

昭和59年夏場所初日 北の湖 対 保志

この一番では負けてしまいましたが、
それまで、北の湖さんとは2回当たって2回とも勝っています。
この大横綱に平幕力士が2連勝するとは、やはり八角さんは力のある力士だった
ことがわかります。

ところで、その八角さん、
「保志」として相撲とっていた頃、ニックネームがつけられたそうです。
海外公演に行ったときのこと。
観戦にきた外国人客が言ったのでしょうか。

ついだあだ名は、こちら。

出典元:https://illustrain.com/

あぁ、なるほど・・・と思ってしまいましたぁ。

まとめ

TVに映る八角理事長の表情は、どれも厳しいものばかりです。
リーマンショック以上の危機と言われる新型コロナウィルス騒動。
徐々に世間が緩和されてきているようですが、すでに第二波が来ているとも言われ
まったく気を抜くことができません。

まだまだ時間はかかるかもしれませんが、
大相撲界に観客と活気が戻り、八角理事長の口元が緩んだ表鵜が見られるといいと
思います。

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