逸ノ城、髪型オールバック時代の仰天カメラワーク!遊牧民ゆえの㊙エピソードも紹介

2022年の大相撲7月場所(ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館))は
平幕の逸ノ城関が初優勝!
2014年の初入幕から47場所目で念願の賜杯を手にしました。
その逸ノ城関、デビューして間もない頃の注目度はハンパではなく、
そのときのカメラワークは異例でした。
その8年前の光景を面白エピソードも交えて
今回は、祝優勝・逸ノ城関に斬り込んでみたいと思います。

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逸ノ城、髪型オールバック時代の仰天カメラワーク!

出典元:https://m-hairstyle.com/ichinojyou/

こちらが、逸ノ城関のプロフィールです。

【名前】    逸ノ城 駿(たかし)
ああああああああモンゴル名:アルタンホヤグ・イチンノロブ
【生年月日】  1993年4月7日
【出身地】   モンゴル、アルハンガイ県バットツェンゲル村
【身長 / 体重】 192cm / 211kg
【血液型】   A型
【所属部屋】  湊部屋
【最高位】   東関脇

入門当時の四股名は、本名「イチンノロブ」からとった「イチ」
その後、人並み外れた才能を持つ「逸材」の”逸”
相撲留学をしていた鳥取城北高校から”城”を取り、「逸ノ城」と名付けられました。

その逸ノ城関は、2014年1月場所で初土俵。
そして、その年の9月場所ではもの凄い注目度でした。
前頭十枚目が、大関・稀勢の里や豪栄道、横綱・鶴竜ら上位陣ををバッタバッタとなぎ倒し、
12日目終了時点で11勝1敗、無敵の横綱・白鵬と肩を並べます。
入門してまだ5場所目なので、髪はまだ髷が結えずのオールバック状態。
そんな青二才ともいっていい力士が優勝争いに入っているものだから
このとき私が購読していたスポーツ紙には、「化け物、現る!」と出ていました。

また、この場所のカメラワークも異例でしたよ。
横綱・白鵬と逸ノ城の取り組みの日。
関脇、大関らの取り組みのとき、時間になるまでの間、カメラは土俵ではなく支度部屋で準備する逸ノ城を捉えていました。
そう、支度部屋から出てくる逸ノ城の姿を映し出そうとしているんですね。
そして出てきた! カメラは逸ノ城を捉えっぱなし。
相対する横綱・白鵬も同じように支度部屋から出てラフに浴衣を羽織っている姿が映し出されていました。

そして、両者の入場!
カメラは土俵上の力士よりも土俵下に座って、じっと出番を待つ白鵬と逸ノ城を捉えている。
このときテレビの大画面には、両者の顔が真ん中の線を境にしてデカデカと映し出されていました。
とにかく、この日は、白鵬と逸ノ城。
土俵上の他の力士の取り組みなどどうでもいい・・・といった感じでしたね。
このようなカメラワーク、
兄弟で大フィーバーを巻き起こしたあの貴乃花、若乃花時代でも見たことがありません。
とにかく、このときの逸ノ城の注目度は高かったです。

取り組みの結果は、やはり、横綱の意地!
白鵬が逸ノ城を上手投げで転がしました。

そのときの一番がコチラです。

進撃の怪物を止めた!これが横綱相撲だっ相星決戦 白鵬(Hakuho)vs逸ノ城(Ichinojyo)(2014年9月27日 9月場所14日目 Aki Basho 2014 Day 14)

遊牧民ゆえの㊙エピソードも紹介

出典元:https://note.com/sonoko0511/n/nd86be1520389

逸ノ城関、モンゴル在住時代は遊牧民であり、
首都のウランバートルから400キロ離れた草原でヒツジやヤギなどを飼いながら
季節によっては移動しながらの生活を送っていました。
当時は、馬の生乳を毎日2リットル飲んでいたといいます。
これで「馬力」をつけたのでしょうか。
また、逸ノ城関には弟と妹がおり、学校に授業で行かなければならないときは、
自宅のゲル(モンゴル高原に住む遊牧民が使用している円形の移動式住居)から20キロ離れた学校のある村のゲルで弟、妹と共同生活を送っています。
ヒツジを狙いにオオカミらがやって来たときなど、夜中に起きなければならなかったのが大変だったそうです。

そんなモンゴルのイチンノロブ青年が、
相撲界の門を叩いたのが、2013年。
2014年の初土俵からメキメキと力をつけていくことになりますが、
2019年に面白いエピソードがひとつ。

2019年3月、このときは大阪場所でしたが、
場所入りは、宿舎から毎日クルマで30分だといいます。
しかし、場所3日目、このときは渋滞にはまってなかなかクルマが前に進まない。
いつもの2倍以上の時間がかかりそうだと。
そこで逸ノ城関、なんと会場付近でクルマを降り、
会場までの約300mを猛ダッシュしたとのこと。

そして、土俵入りの10分前に到着。
5分で早着替えして幕内土俵入りに間に合わせたそうです。

「部屋の前で時々走っているからね。部屋で2番。 下からだけど・・・」と
本人は笑っていたといいます。
さぞかしスタミナが切れているだろうし、取り組みが心配されるも、
この日は、栃煌山関を小手投げで破ったそうです。

幼少期、大草原で家畜の動物たちと一緒に生活してきた逸ノ城関。
大自然のなかを走っていたことで足腰がしっかりしているのでしょう。
巨体を背負ていても300mの走りなど屁の河童なのかもしれませんね。

出典元:https://www.chunichi.co.jp/

そして、

2022年7月場所、初入幕から47場所目にして幕内最高優勝を果たしました。
来場所は、三役に返り咲くでしょうし、大関も目指してほしいと思います。

まとめ

令和4年の7月場所は、多くの力士が新型コロナ陽性となり、休場者が続出。
大変な場所となりました。
新型コロナ騒動も今年で3年目。
過去にはコロナ感染で命を落とした力士もいました。
大会が中止となったり、会場を無観客としての場所もありましたが、
今は、ほぼ客入りも普通の状態に戻っての開催となってきています。
でも、感染者数はここにきて再び増加いや、これまでにない激増ぶりを示しています。
この先どうなるかわかりませんが、大相撲熱が冷めないことを願います。

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