淹れるコーヒーはサイフォン式。
ここは、都内にある昭和のレトロ感漂う老舗の喫茶店。
そのお店に毎週通う常連客の関口宏が、訪れるゲストと楽しい会話を弾ませる
『関口宏の三人寄れば』
(BS-TBS 毎週日曜日 12:00~12:50)

今回、来店した客は、関根勤と具志堅用高。
芸能界一の格闘技好きとボクシング元世界チャンピオンが、ボクシングについて面白おかしく語ってくれました。

まず、元世界チャンピオンの具志堅用高
と聞いても今の若者はほとんど知らないでしょう。
具志堅さんといったら、クイズ番組でボケた回答をしている楽しいオッサンというイメージでしょうかね。
しかし、現役時代はスゴイ選手だったんですよ。
今から50年前の1976年10月10日、チャンピオン、ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)を7RKOで下し世界タイトル奪取!
その頃は、日本に現役の世界チャンピオンはいなかったから具志堅さんの戴冠には日本中が沸きに沸きました。
それから1981年3月8日、メキシコのペドロ・フローレスにこのあと引退を決意することとなる初黒星を喫するまで、連続防衛記録13回という、いまだ破られていない金字塔を打ち立てています。
故郷の沖縄県石垣島には、具志堅さんの銅像が作られているほど、地元ではスーパーヒーローなんですね。
今回の関口さんと関根さんとの会話で、
まず、話にあがったのは、ボクシンググローブについて。
今と昔とでは、大きさも厚みも違うんだとか。

具志堅さんの時代は、サイズが小さめで拳となるクッションの部分も薄かったといいます。
そのため、試合中、額やまぶたを切って流血戦になったり、自らの拳を痛めてしまったり・・・。
具志堅さんんもまぶたを切ったことあるようです。
このようなときは、控室で傷口を縫うんだけれど、これがまったく痛くないんだと。
試合で興奮してアドレナリンも出ているので、縫われても痛みを感じなかったといいます。
そのようなことから、選手の安全性を考えてクッション部を厚くしてサイズも大きめに。
また、ラウンド数も15から12に減らしたことで、その後、事故も減ったそうです。
そのようなことは、だいたい想像がつくけれど、
いやぁ~、このことは「あ~、そうだったの!?」って思いました。

それは、グローブの親指の部分。
グローブは手をはめたとき、親指だけは一本入るように4本指のまとまった部分とは独立した形となっています。
この親指パッドが、昔は開いて自由に動くようになっていたため、パンチを打つと同時に親指パッドを立てて相手の目に入れてくる選手がいたらしい。
具志堅さんも食らったことあるそうです。
このような ”サミング” 見えない目つぶし攻撃を防ぐために、今のグローブは親指パッドが本体パッドから離れないようくっ付けた作りになっているようです。
知らなかったぁ~。
そして、話題は具志堅さんの下積み時代に。
高校入学時、具志堅さんはお風呂屋に住み込んでのバイトを始めます。
その理由は、ボクシングをやれば、下宿代がタダになると言われたから。
従った具志堅さん。毎日、夜の12時に風呂場の掃除。
ボクシングの練習が終わったあとの風呂の清掃作業は、きつかったぁ~と。
その後、インターハイで優勝したりと
新聞で100年に1人の逸材だと目をつけた協栄ジムの金平正紀会長から引っ張られ、プロの道へ。
しかし、生活費を稼ぐため、具志堅さんはトンカツ屋でバイトをします。
トイレなし、シャワーなし、冷蔵庫もなしの木造アパートへの住み込み。
「まかないは、もちろんトンカツだよね?」と関根さん。
いやいや、とんでもない。チャンピオンになるまでは、とお店のメニューは出なかったと。

そんな具志堅さん、プロとしての試合が始まるも
トランクスやシューズはみんな借り物だったといいます。
買うお金がなく、リングに上がるときに身につけるコスチュームは、トンカツ屋の奥さんが着ていたバスローブだったと。
ちゃんとしたガウンが着たかったと具志堅さん。
そんなあるとき、トンカツ屋に一本の電話が。
協栄ジムから「世界戦が決まった。」と。
すると、マスターがすかさず「もういいから、すぐジムに行け!」
試合当日、
会場は、山梨学院大学の体育館。
なんで山梨? 行ったことないし、普通、世界戦といったら東京のデカい体育館だろ!
そんなことを思いながら具志堅さんは、狩人の歌にもある「あずさ2号」に乗って会場に向かったそうです。
そして、リングインしたとき、なんと、セコンド陣には会長の横にトンカツ屋のマスターが!
心配になってついてきたという。 わかるなぁ~。

そして、ついに、電光石火の右アッパーで念願の世界タイトルをゲット!
しかし、リング上でチャンピオンベルトを具志堅さんは巻いていない。
ベルトは、なんと負けたグスマンが持ち帰ってしまったと。
結局、戻ってくることはなく、ベルトは仕方なく具志堅陣営で作ったそうです。
そのベルトがこちら。

こうして世界チャンピオンになったから、もうバイトはやめたかと思いきや、
具志堅さんは5回防衛するまでトンカツ屋で働き続けます。
これまでの恩もあるし、セコンドにもついてくれた。
そう簡単にやめるわけにはいかないと。 いやぁ、好青年らしい。
ここで関口さん、「勝てば大金が入るでしょ?」
そしたら具志堅さん、「これ、言っていいのかな」とひと言おいて
最初のファイトマネーは、手取り80万円だったと。
契約書上は300万だったが、マネージャー料や諸経費を引かれてこれだけ入ったそうです。
しかし、
その80万、なんと、トンカツ屋に来たお客さんに具志堅さんは渡してしまいます。
「具志堅さん、家族が緊急入院してしまった。お願いだから貸してください。」
その後、そのお客さんは店に来なくなった。
出前を下げに行くときに確認したら、もういないと。
逃げられてしまったといいます。 ありゃ~。
マスターや奥さんからも怒られたようですが、そんなこと気にしてる場合じゃない。
もう初防衛戦が迫っていて、その試合も判定だったが勝利を納めます。
住まいも木造アパートから東京赤坂の高級マンションへ引越し。
週末には六本木のディスコに行ったそうな。
夜のディスコに行った理由は、トレーニングをするため。
踊りのリズム感、フットワークを磨くためなんだと。 なるほど。
世界王者となって名が広まったことで、家に帰ったときは、ポケットのなかに女性の名刺が10枚くらい入ってたそうですよ。

いろいろ楽しくしゃべってくれました、具志堅さん。
まさか、ファイトマネーの額まで教えてくれるとは・・・。
プロになってからの逸話の数々を披露してくれ、相変わらず、ユニークなキャラクターを発揮してくれました。
最後に、
そんな無名の21歳、具志堅用高が世界タイトルを獲得した試合を添付します。(5分05秒)
ホントだ、グローブ小さい。
