武田鉄矢のカルチャーショックは●野菜を食べる人!上京から50年海援隊の今後の予定は?

武田鉄矢さん
「3年B組金八先生」や「贈る言葉」で知られる芸能生活50年の大ベテランですが
最近は、情報番組のコメンテーターとしても活躍しています。
4月3日にはフジテレビ系列、日曜朝、松本人志と東野幸治がMCを務める情報番組、
『ワイドナショー』にゲスト出演していました。

そこで、「えっ!?」
武田さんの口からなんとも面白い逸話が飛び出しました
武田さんにとって、上京したときのカルチャーショックです。
それってどんな話?

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武田鉄矢のカルチャーショックは●野菜を食べる人!

出典元:https://grapee.jp/970491

武田鉄矢さんのプロフィールです。

【名前】    武田 鉄矢 (たけだ てつや)
【生年月日】  1949年4月11日
【出身地】   福岡県福岡市博多区
【身長】    165㎝
【血液型】   O型
【家族】    両親と5人兄弟姉妹(鉄矢さんは末っ子)

武田さんは、坂本龍馬を尊敬していることでも有名です
福岡県立筑紫中央高等学校卒業後に坂本龍馬の研究を志し、当時一期校だった
高知大学文理学部(現:人文社会科学部)を現役、浪人時と2年に渡り挑戦します。
また、坂本龍馬の墓所の近隣に位置していた立命館大学も受験したが不合格。
最終的に、二期校で合格した福岡教育大学教育学部障害児教育教員養成課程に入学。
しかし、7年在籍するも中退しているそうです。

芸能のスタートは、歌手です。
1972年(昭和47年)に、千葉和臣、中牟田俊男と「海援隊」を結成しデビュー。
1973年に出した「母に捧げるバラード」がヒットし、翌年のNHK紅白歌合戦に出場
しかし、その後はヒットに恵まれることなく、武田さんはは俳優業の道へ。
そして、映画『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)では、冴えない青年役を演じ、
これが高い評価を得て、俳優としての新境地を開拓します。
1979年には、金曜夜8時のTBSドラマ『3年B組金八先生』での教師役が
高視聴率を獲得!
主題歌の「贈る言葉」も大ヒットしました。
しかし、1982年12月からは主に武田さんはソロで活動されています

そんな武田鉄矢さんが、今回、ゲストコメンテーターとして出演した
フジテレビ系列の『ワイドナショー』

このなかで、20代半ばで上京したときのことをMCに聞かれた際、
武田さんは、
「サラダを食べる人を見て驚いた!」と。
サラダとは、ポテトサラダやマカロニサラダのようなサラダではなく、
生野菜のこと。

野菜は、湯通しするなど必ず火を通して食べるものだと思い込んでいたそうです。
しかし、周りの人みんなが野菜を生のまま、蚕のように食べている姿を見て
ビックリしたと!
これには、番組出演者も目を丸くしていました。

昔から武田さんのお母さんは、
火を通して野菜を調理していたのでしょうね。

まぁ、同じ食材でもその土地によって食べ方は様々だということですね。

上京から50年「海援隊」の今後の予定は?

そんな武田鉄矢さんが、1972年に結成した3人組のユニット「海援隊」
今年で50周年です

出典元:https://news.yahoo.co.jp/

この3人が、武田さんの番組、BSテレ東『武田鉄矢の昭和は輝いていた』
(金曜日20:00)に集合しました。

この50年を振り返って、
まず、メンバーの千葉和臣さん(写真、左)は、
「この3人だったから、50年やってこれた。グループの強みとしては、似たグループが
いない!っていうのとメンバー1人も欠けずにオリジナルで50年やっているというのが
すごく自慢だ。」と。

中牟田俊男さん(写真、右)は、
「この50年という間に、武田鉄矢と千葉和臣、この2人に出会えたこと。
この2人に勝つ者はいないなぁとあらためて思っています。」と言っています。
この中牟田さん、実は、6年前に食道がんを患い、手術をしたとのこと。
なんとその3か月後には舞台に立ったそうです。
そのとき、2人がサポートしてくれたことで、
「俺には仕事がある」「舞台に立つことができるんだ」と。
支えてくれる仲間がいる!っていう。これが一番の元気のもとになったそうです。
それがなかったら、今、こうしてここにいることはなかったと。
また、中牟田さんは、迎えた50年について、
「あまり意識したこともないし、50年という月日は、僕は数えたことがない。
でも、これから1年、2年とやっていければ、そこで初めて50年という意味が
わかるような気がします。」と話しています。

そして、武田さん
「波瀾万丈で、よくぞ、ここまできたな・・・」という感じだと。
続けて武田さんは、
「我々は、もうあと10年続くグループじゃないかもしれません。体力的に。」
そう話した上で「ラストスパートとして、我々の使命として ”生きていてよかった” とか
”いい生き方ができた” という曲を作りたいと思っています。」と話しています。

出典元:https://www.news-postseven.com/

武田さんの口から
ラストスパートという言葉が聞かれました。

「母に捧げるバラード」
「あんたが大将」
「思えば遠くへ来たもんだ」
そして、「贈る言葉」など

海援隊には、数々の名曲があります。

新しい曲が発表されるのも楽しみです。

3人とも70を超えていますが、カラダにムチ打っていただいて
全国コンサートツアーでも開催してくれればいいなと思います。

まとめ

いかがでしたか。

武田さんは、野菜は生で食うモノではない!と子供の頃から思っていたことから
上京して凄いカルチャーショックを受けたようですが、
仕事で全国各地回ってホテルに滞在すれば、
バイキング会場にはサラダバーがあるだろうし・・・手をつけないのかなぁ。^ ^

今はどうなんでしょうねぇ・・・

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