テレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスターを12年務め、
現在は、TBS「ゴゴスマ ~GOGO!Smile!~」の水曜日コメンテーターをしている
古舘伊知郎さん。
古舘さんは、自分の会社を立ち上げているフリーアナウンサーで、NHKや民放各局に
登場していますが、そんな古舘さんは元テレビ朝日のアナウンサーでプロレス実況を
担当していたことを知っている人は意外に少ないです。
その古舘さんの仕事の原点ともいえるプロレス実況で、なんと、古舘さんを巻き込んだ
とんでもない事件が起こったことがあります。
今回はその衝撃の事件について書いてみます。
目次
古舘伊知郎のプロレス実況時代、
新日本プロレスは軌道にのった!
古舘さんは、1977年、全国朝日放送(現・テレビ朝日)にアナウンサーとして入社。
同年7月には、新日本プロレスを中継する「ワールドプロレスリング」の実況を担当します。
古舘さんは、子供の頃からプロレス好きで自身がレスラーを志したこともあったといいます。
しかし、首を鍛えられないことからプロレスをしゃべりでやろうと切り替え、ファンだった
というアントニオ猪木さん率いる新日本プロレスを中継している朝日放送(テレビ朝日)に
入ったそうです。
古舘さんが実況を担当するようになってからは、
「藤波x長州 名勝負数え歌」
「ストロングスタイルの原点」
「観客一人ひとりの心のなかのプロレスラーが必死に猪木を励ましている!」など
独特の語り節で古舘さんのリングに向けたしゃべり口は「過激な実況」と呼ばれるように
なりました。
また、外国人レスラーにニックネームをつけることも。
アンドレ・ザ・ジャイアント = 人間山脈
ハルク・ホーガン = 現代に甦ったネプチューン
ブルーザー・ブローディ = マンハッタン・ターザン
出典元:https://www.youtube.com/
そんな古舘さん、そして放送席となりの山本小鉄さん、東京スポーツ新聞社の桜井康雄
さんとの名トリオの解説は、新日本プロレスのリング上の闘いに彩を与えました。
また、1980年代前半は(初代)タイガーマスクが現れ、その異次元殺法に日本中が沸き、
「ワールドプロレスリング」は、裏番組に「太陽にほえろ」や「3年B組金八先生」という
強敵がいても視聴率20%超えを果たしたときがありました。
リング上の闘いだけでなく、やはりプロレスの番組作りという点では、
実況アナウンサーの存在は必要不可欠です。
この時代のプロレスブームは、むしろ古舘さんの実況トークが起こしたものであると
巷では言われたりしていました。
古舘伊知郎のプロレス実況時代、
レスラーから頭3発殴られた戦慄の一夜があった!
古舘さんが実況していた頃の「ワールドプロレスリング」の放送時間は、金曜夜8時。
しかも生中継でした。
毎週、試合と試合の合間には、放送席が映し出され、終わった試合を振り返ったり、
次の試合や次期シリーズの紹介など独特の古舘トークが展開されていましたが、
1985年3月の放送の時でした。
突然、放送席が映し出されたとき、驚きの光景が飛び込んできたではないですか!
なんと、古舘さんが頭に包帯を巻いているのです。
出典元:https://ameblo.jp/maskedsuperstar2/
もうビックリ! いったい何があったんだ!
古舘さんは、真っ先に「会場の通路で外人レスラーから頭を3発殴られてしまった」と
視聴者に向かって話しました。
その暴挙をふるった外人レスラーは、この男、デビット・シュルツ(米国)
アメリカンレスラーのなかでも特に気性の荒い男として有名です。
もちろん、古舘さんはこのレスラーの名前を挙げていました。
出典元:https://japaneseclass.jp/trends/about/
プロレス担当のアナウンサーは、
試合前にレスラーの控室にインタビューしに行くことがよくあります。
その時の状況、古舘さんの口から語られたのは
その日、古舘さんがデビット・シュルツへのインタビューに行ったときのこと。
「Who are you ?」と聞かれ、
「Japanese TV announcer」と返したところ、いきなりシュルツが古舘さんの頭を
3発殴ってきたそうです。
殴られてから実況の本番までインターバルがどれだけあったかわかりませんが、
欠場してもおかしくない状況だったのでは・・・。
でも、代わりのアナウンサーを立てる時間などなかっただろうから無理していたんだと
思います。
これまでの古舘さんの功績を理解しているアントニオ猪木さんも
この日、デビット・シュルツがセミファイナルでの試合を終えた後、次の自分のメイン
試合が始まる前に真っ先に出てきて、放送席にいる古舘さんを指さしながらシュルツを
リング上から口撃するシーンが見られました。
格闘家は、街で酔っ払いやチンピラに絡まれても職業柄、手は出さないものですが、
この日、デビット・シュルツがとった行動は言語道断!やってはいけないことです。
処罰されてしかるべきと思いますが、その辺どうなったかは明らかになっていません。
その後、シュルツが来日することはなくなったようですが・・・。
まとめ
古舘伊知郎さんは、1987年3月26日、新日本プロレスの大阪城ホール大会を最後に
ワールドプロレスリングの実況から離れました。
担当した期間はちょうど10年。
私もプロレスファンで、金曜日の夜8時にはテレビの前にかじりついていましたから
古舘さんの10年間はとても短く感じました。
しかしその後、1998年4月4日のアントニオ猪木さんの引退試合には、一夜限りの
古舘節が復活しました。
これまで何人ものプロレス実況アナウンサーがいましたが、私は古舘さんが一番だと
思っています。