馳浩・石川県知事が一夜限りのプロレス復帰!実は彼、レスラー時代「臨死」体験していた!

2022年(令和4年)3月に行なわれた石川県知事選挙。
そこで当選したのは、馳浩氏。
馳氏といえば、元プロレスラー。
現役時代に国会をもう一つの闘いの場として捉え、1995年に参議院選挙に当選して政界入り。
2015年には文部科学大臣に就任し、今ではふるさと北陸、石川県の知事になっています。
その馳氏が、2023年1月1日に一夜限りのプロレス復帰!
「え!?」 聞かされていなかった会場はどよめいたそうです。

また、その馳氏、プロレスの現役時代に極めて危険な体験をしています。
それは「臨死」
言ってみれば、死にかけたわけですが、「えっ、どんな状況で?」
そのときの壮絶な模様をここでご紹介します。

スポンサーリンク




馳浩・石川県知事が一夜限りのプロレス復帰!

出典元:https://www.yomiuri.co.jp/election/local/

石川県知事・馳浩氏のプロフィールはこちらです。

【名前】    馳 浩 (はせ ひろし)  (旧姓:川辺)
【生年月日】  1961年5月5日
【出身地】   富山県西礪波郡砺中町(現・小矢部市)
【身長/体重】  183cm / 105kg
【血液型】         A型
【最終学歴】   専修大学文学部国文学科

馳浩氏は、元々は「川辺浩」
小学3年進級時に親族であるリンゴ農家の馳家(石川県金沢市)の養子に入ったことで
姓が変わります。
1980年3月、石川県の星稜高等学校を卒業後、専修大学文学部国文学科へ。
新卒での就職は、母校・星稜高校での国語教師でした。

その教員として働く傍ら、レスリングにも熱中しており、
1984年ロサンゼルス・オリンピックのレスリング日本代表を経て、
1985年、当時、長州力が率いていたジャパン・プロレスに入門。
プロレスラーとしてのスタートを切りました。

新星として全日本プロレス、新日本プロレスのマットで激しい闘いを展開している最中、
1995年にスポーツ通で知られる政治家・森喜朗氏に声をかけられ、
参議院選・石川県選挙区から立候補。
見事、当選して晴れて国会議員となります。
その後、文部科学大臣政務官、文部科学副大臣と要職のポストを獲得。
そして、2006年にレスラーを引退してからは、
2015年、文部科学大臣に就任します。
そして、そして、2022年、故郷・石川県のトップに!

その現職の石川県知事が、2023年1月1日に再びプロレスのマットに上がりました。
プロレス団体「プロレスリング・ノア」の日本武道館大会。
8人タッグマッチのなかで、名前が「X」とされていた馳氏。
馳氏の入場テーマ曲が流れると会場はどよめきの渦と化したようです。

出典元:https://proresu-today.com/

結果は、馳氏自身が得意技のノーザンライト・スープレックスで相手を仕留め、
自らの手で勝利を掴みました。

しかし、石川県民からは賛否、いろいろな声が挙がったようです。

「お正月だからいいんじゃない」
「パフォーマンスとしてはいいかも」

「しっかり分けるべき」
「プロレスラーの前に知事であることを考えてほしい」

まぁ、マイナス的なイメージは、それほどないとは思いますけどね。
プロレス・イベントはお祭りではないですけど、
かつての仲間の引退試合に華を添える形での参戦とかはいいのでは・・・
と私は思いました。
でも、参戦が数年に一度となってもどんどん時が経てば、
体力はダウンするわ、筋肉は落ちるわ、肉体の見た目もしぼんだ感じに見えるし・・・
その辺も考えてほしいと思いますね。
プロである以上、観客に恥ずかしい姿は見せられませんから。

実は彼、レスラー時代「臨死」体験していた!

出典元:https://miruhon.net/74110

その馳浩氏。
レスラー時代にとんでもなく危険な体験をしています。

時は1990年6月、試合中に相手選手からバックドロップを食らったときのことです。
相手を高く持ち上げて頭からマットに叩きつける荒技に
受け身を取り損ね、左のこめかみからマットに落下した馳選手。
フォール負けしたあと、意識もうろうのまま控室へ。
しかし、このあとも次の試合のセコンドにつくため、再びリングに向かって歩き出した
そのとき!

バタン!と倒れます。
すると、全身のけいれんから硬直が始まり、口から泡を吹いて失禁したといいます。
リングドクターが駆けつけた時には、すでに心肺停止状態で瞳孔も開いていたそうです。

ドクターの人工呼吸と警察官による必死の心臓マッサージで1分後になんとか蘇生するも
馳選手は、その間に、幽体離脱して倒れている自身の姿を見るなど、いわゆる「臨死体験」をしていたというのです。
いったい脳の状態はどうなっていたことか・・・

出典元:https://ameblo.jp/s2232t0129/

翌日には意識は回復したそうですが、1週間の入院と2か月間の試合欠場となり、
夜眠れないほどの偏頭痛などの後遺症も残ったそうです。

まとめ

プロレス試合中の事故。
マットの下には弾力性のある素材を入れているとはいえ、打ち所が悪いと死につながります。
事実、2009年6月に三沢光晴という日本のトップレスラーが、やはりバックドロップを食らい
そのままリング上で命を落としています。

今回の元レスラー現職県知事によるプロレス参戦。
もし、このような事故が起ったら、ただでは済まされない事態となります。

プロレスイベントでも参戦はリングではなく解説席にするのもいいかもですね。

スポンサーリンク