格闘王・前田日明の御守りは自分の身体の一部!それが体内の●●とはドキッ!なぜ取り出した?

伝説のプロレスラー、前田日明。
1980~90年代にかけて、人気・実力ともに師匠のアントニオ猪木氏を凌ぐ勢いで
活躍したプロレスラーです。
1999年2月のアレキサンダー・カレリン戦を最後にリタイアしてからは、
格闘技団体の設立・運営などに従事しています。

その前田日明。
現役時代からずっと「御守り」として持っているモノがあるそうです
それはなんと己のカラダの一部。
自分の体内から取り出したもの。
それってナニ?
えっ!? なんだってぇ~!

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格闘王・前田日明の御守りは自分の身体の一部!

前田日明は、少年時代は特撮テレビドラマ『ウルトラマン』に熱中。
最終回でウルトラマンがゼットンに負けたときは、涙を流して悔しがったそうで、
そのウルトラマンの仇を討つためにゼットンを倒そうと少林寺拳法を習い始めます。
高校時代には空手を習い、無想館拳心道館長の岩崎孝二から学んで二段を取得。
これが前田日明の格闘技への目覚めです。

こちらが前田日明のプロフィール

【名前】    前田 日明 (まえだ あきら)
【生年月日】    1959年1月24日
【出身地】   大阪府大阪市大正区
【身長】    192㎝
【血液型】   A型
元在日韓国人で韓国名は、高 日明(コ・イルミョン、고일명) 1983年に日本に帰化。

出典元:https://www.tokyo-sports.co.jp/

そんな浪速の青年・前田日明は、初代タイガーマスクの佐山サトルの目に留まり、
1977年、アントニオ猪木氏率いる新日本プロレスに入門します。
その前田をプロレスの世界に引き込んだ佐山サトル。
彼が虎の覆面を被ったのは1981年4月ですから、前田に声をかけたのは、
まだタイガーマスクになる前のことです。

そして、前田日明は、1978年8月、山本小鉄戦でデビュー。
その後、ヨーロッパ武者修行でイギリスに渡り、プロレスの神様カール・ゴッチ氏の
指導も受け、やがて細身の身体は「鋼鉄の身体」と言われるほど、たくましい肉体を
築き上げます。
そして、1983年4月に凱旋帰国。
七色のスープレックスやフライング・ニールキックなどダイナミックな技を駆使し、
また、背が高くルックスもいいことから女性ファンも急増。
たちまち人気レスラーとなりました。

出典元:https://twitter.com/hinakotetsu/

しかし、1984年2月に自らの理想とするプロレスを求めて新日本プロレスを離脱。
UWF(ユニバーサル・レスリング・フェデレーション)という団体を旗揚げするも
月に行なう試合数のことで選手間で対立が起き、その後、UWFは解散。
前田日明は、藤原喜明、木戸修、高田延彦、山崎一夫を引き連れ、
1985年12月、新日本プロレスと業務提携を結びます。

出典元:https://igapro24.amebaownd.com/

こうして新日本プロレスのリングに再び立つことになった前田日明。
多くの名勝負を展開してきましたが、
1986年10月9日、両国国技館での異種格闘技戦、
ドン・ナカヤ・ニールセン(米国)との一戦は、凄まじい闘いに観客が狂喜乱舞!
メインのアントニオ猪木 vs レオン・スピンクス戦が猪木勝利も内容が良くなかった
ことで、翌日のスポーツ紙には『前田、猪木に勝つ!』という見出しが!
そして、前田には新格闘王の称号が与えられました。

あ、すみません、引っ張った形になってしまいましたが、

その前田日明が大事に持っているという「御守り」
それが自分の身体の一部だなんて、どういうこと?

それは、試合中に起こったハプニングによるものです。
前田選手が相手選手のミドルキックを食らったときに、前田選手の身体に異変が!

いったい何が起こった?

それが体内の●●とはドキッ!なぜ取り出した?

そのハプニングが起こった試合は、
1987年5月25日、宮城県スポーツセンターで行なわれたタッグマッチ。
前田日明、高田延彦 vs 藤原喜明、山崎一夫の IWGPタッグ選手権。

この試合で、
コーナーに詰められた前田選手が山崎一夫選手のミドルキックをもらいます

そのときの映像はありませんが、
画像がありました。こちらです。

出典元:http://konjyaku.blog.jp/

この山崎選手の強烈なキックを胸に食らったとき、
前田選手はすぐパートナーの高田選手にタッチしています。
そのとき、軽く左手を胸に当てていました。

このとき、まさか前田選手のカラダに異変が生じていたなんて誰も気づかない・・・

しかし、

その後、前田選手がTVのバラエティー番組に
「珍しい御守りを持っている人」ということで出演していたときに
その事実が明らかになりました。

前田選手が大事に持っている珍しい御守りとは、

自分の骨 です。

その骨とは、胸骨の「剣状突起」

胸骨の剣状突起とは、こちらの図のように、胸骨の下端に突出する突起部です。

出典元:https://www.mhlw.go.jp/

この胸骨の一部、下にちょっとだけ飛び出ている部分が、
もらったキックの衝撃でポロっと折れて欠けてしまったというわけです

前田選手は、この剣状突起が折れた瞬間、
カラダの中で何かが暴れているような感じがしたと言っていました。

そして、この遊離した骨を取り除く手術を受けて、その後、試合には臨んでいます。
この剣状突起は、なくなっても身体への影響は何もないそうです。

そんな自分の身体の一部を御守りとして持つ前田選手、
新日本プロレスを再び離れたあとは、
数千枚のチケットが数分で売り切れるという社会現象にまでなった第二次UWFの旗揚げ。
その後は、様々な国の格闘家を呼んだ総合格闘技のネットワーク団体「リングス」を設立。
1999年2月21日には引退試合として、
1987年から2000年までオリンピック含む国際大会で13年間無敗を誇り、
人類最強の男との異名をもつロシアの英雄、アレキサンダー・カレリンと
横浜アリーナで対戦。
最後は、判定負けを喫しましたが、21年間の格闘人生にピリオドを打ちました。

現在は、総合格闘団体の運営や自身の YouTubeチャンネル を立ち上げて
現役時代には見られなかった様々な表情を見せてくれています。

まとめ

いかがでしたか。

自分の骨を御守りにしているだなんてドキッとしますね。

でも、不幸中の幸い。骨が折れた!といっても場所が場所だっただけに
カラダに影響がなく、その後、休むことなく試合に臨むことができたのは良かったと
思います。

引退されてもうだいぶ経ちますけれど、TVでその元気な姿をこれからもたくさん
見せてほしいと思います。

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