球界の安打製造機が、涙と笑いの現役生活ウラ話を披露。
BS12 トゥエルビのトークバラエティー
『鶴瓶ちゃんとサワコちゃん ~昭和の大先輩とおかしな2人~』
笑福亭鶴瓶と阿川佐和子がMCを務める
タイトルがちょっと長いな・・・と思うこのトーク番組に
打ち放ったヒット数は、実に3085本。
日本のプロ野球では前人未到の記録保持者
張本勲さんが登場しました。

今の若者は、張本さんの現役時代は知らないでしょう。
張本さんというと、
日曜日の朝、スポーツの映像を見ながら、「アッパレ!」「喝っ!」と叫んでいるオッサンと思っているでしょうね。
張本さんは野球選手だった。
また、その頃の逸話は後にして
まずは、張本さんはとんでもない体験者だということを先にお話しします。
張本さんは、広島での被爆者。
1945年8月6日、5歳だった張本さんは、
友達と遊ぶため、家から外に出ようと玄関の引き戸を開けた瞬間、
ピカッ! ドーーーン!!!
このとき、いってらっしゃーい!と見送った母親がすかさず張本さんに覆いかぶさった。
気を失っていた張本さんが目を覚ますと、白い服を着ていた母親の背中が血で真っ赤に染まっていたという。
そして、母親が「早く逃げなさい!」と。
張本さんは50mくらい先にあるぶどう畑へ。
結局、張本家は助かったそうです。
それは、海抜700mくらいある山の麓に家があったため、ちょうど影のような形となり、閃光や煙を直接浴びることがなかったから。
その先に立ち並ぶ家々は全滅だったそうです。

また、張本さんは、この原爆に遭う前に大きなケガをしています。
4歳の冬、採ってきたサツマイモを焼くために、土手でとんどを囲んでいたときに、急にバックしてきたトラックを避けようとしたところバランスを崩し、とんどに右半身から飛び込む形になり、右手に大やけどを負ってしまいます。
その結果、小指とくすり指が自由に動かせなくなってしまう大ケガをするはめに。
この2本の指は、あってもないようなもの。
また、驚いたことに、このケガをしていることを家族に話したことはないんだと。
「別に見せるもんじゃないから・・・。」
もちろん、公の場で話したことはない。
この番組ではじめて打ち明けたそうです。
そんなハンディーを持っていながら、被爆時、自分を守ってくれた母に豊かな生活を!と
張本さんは、18歳でプロ野球の世界に身を投じます。

入った球団は、今の日本ハム・ファイターズの前身である「東映フライヤーズ」。
さぁ、いよいよプロとしての生活が始まる。
ここから目まぐるしいパフォーマンス発揮となりますが、
プロになってからは、右手3本の指しか動かせない張本さん用の特別なグローブを作ってもらったそうです。
その東映フライヤーズが日本ハムに変わり、監督も代わったとき、
当時の日本ハムの球団社長が、張本さんを部屋に呼んで
「お前、どこかに行きたいんだな?」
「はぁ、どうせ出すなら、好きなところへ出してください。」
「お、わかった。じゃ、お前の好きなところに出してやる。」
張本さんが新しい監督の考えに首を傾げていたことを球団社長は感じ取っていたのでしょうかね。
このようなやりとりがあったようですよ。
そしたら、その後、
張本さんと仲がいいという吉田義男氏。
あの阪神を1985年初の日本一に導いた監督から
「お前、どっか探してるらしいけど、ウチに来いや!」

驚きと嬉しさのあまり、家に帰った張本さんは、家族に
「おい、大阪に行くぞ!」
そして、今の家を売って、宝塚市に80坪の土地を買ったそうです。
後日、吉田氏から「もう、上まで通してるからな。」と。
そしたら、ある日、
地元祭りの後援会長から張本さんにこんな話が・・・。
「実業家で商社マンの久保会長が呼んでるから、その人の家に行ってこい。」
行ってみたら、プールがあってドーベルマンを7匹も飼っている大きな邸宅。
うわぁ~、すげーなぁ!
そして、久保さんと会うと、
「おい、張本、ちょっと座れ。
お前、どこか(球団)行きたいらしいな。どこが好きなんだ?」
「あ、子供の頃から、巨人が好きです。」
「巨人に入りたいか?」
「入れるなら入りたいです。」
「よし、決まったぁ!」
えっ、何を言うんだ、この人は・・・と張本さん。
そしたら、久保さんが
「茂雄ちゃーん」
すると、
となりの部屋からドアを開けて、長嶋監督が現れたという。
「茂雄ちゃん、決まったぞ!」
張本さん、汗だく。(-_-;)
実は、久保さんは、長嶋さん個人の後援会長でもある人でした。

でも、阪神・吉田さんとの約束がある。
「久保さん、すみません、2日だけ待ってください。」
「わかった。いろいろ挨拶回りとかあるだろうから待ってやる。でも決まったぞ。」
「はい。」
そして、吉田さんへ震える手で電話。
「義さん、すいません。巨人に決まりそうなんです。」
すると、吉田さん
ええ加減にしろ!上まで通してるのに・・・って言われると思いきや、
「お、良かったじゃないかい。お前、東京だし。もともと巨人好きだったから。
ええやないか、おめでとう!」
思わず涙が出たという張本さん、
受話器を持ったまま、西のほうに向かって深々と頭を下げたそうです。
いやぁ、すごい吉田さんの男気。懐が深いですねぇ。
こうして、背番号10をつけて張本さんは巨人に入団。
グランド上では、王・張本のOH砲として活躍。チームの優勝に貢献しました。
王さんがホームラン世界一となる756号を打ったときは、こんなに高くジャンプしていたんですね。
まさしく、アッパレ!です。

私は、OH砲の活躍はよくTVで見ていましたけど、
張本さんが右手に治らないケガを負っているなんて、まったく知りませんでした。
ケガのことは誰にも話していないようですが、
ただ、一回だけ、引退後の評論家時代に
巨人の元監督・川上哲治さんには伝えたようです。
川上哲治さんは、長嶋さんの前の巨人の監督。
1965年から1973年まで巨人をV9に導いた名将です。
張本さんは、川上さんに
「オヤジさん、私、こういう手で頑張ったんですよ!」
すると、川上さんは、
「よう頑張ったな。」と言って、涙ぐんだそうです。
ホント、アッパレ人生ですね。

プロ野球での現役生活 23年。
TBS『サンデーモーニング』の出演も 23年。
スポーツコーナーのご意見番として、飾らずストレートに話すコメントぶりは、時には叩かれることもありましたが、お茶の間に楽しさを与えてくれましたね。
そんな張本さんも 2026年9月9日、天国に旅立ってしまいました。
享年86歳。
これからは、天から「アッパレ!」「喝だっ!」を落としてくれることでしょう。
ゆっくり休んでください。
ありがとう! 張さん。