武井壮のNHK『ファミリーヒストリー』には泣かされた!
武井壮は、9歳で最愛の母と生き別れます。
父親は離婚後、なかなか家に帰らず、壮はほとんど兄と二人で暮らすことに。
その人生は壮絶極まりないもの。
そんな武井壮のファミリーヒストリー。
とくに衝撃のラストは、涙なくして見ることはできませんでした。

壮の父親・司さんは、中学卒業後、昭和37年に集団就職をするために上京します。
一家の家計を助けるためです。
時代は高度経済成長の真っ只中。
司さんは、水道の蛇口を作る会社で働きながら、定時制の高校で勉学に励み、
卒業後は姉が経営する美容院に就職。
そして、
この頃、一人の女性と出会うことになります。
その女性は、のちに武井壮の母となる京子さん。
京子さんが東京へ旅行に行った時に知り合ったそうです。
京子さんに一目惚れしたという司さんは、
東京から飛行機で何度も京子さんの実家・和歌山を訪れたという。
そして、二人は結婚。
のちに、二人の男の子、情と壮に恵まれます。

その後、美容室の経営権を姉から譲り受け、客からの人気も一身に集めた司さんは、
次第に生活が派手になっていき・・・客の女性と親密に。
妻と子供からだんだんと遠ざかっていったといいます。
妻との仲は限界が近づいており、毎日、喧嘩が絶えなかったという。
「女に子供なんて育てられるわけないだろう!」
ふすま一枚で区切られた部屋で寝ていた壮は、父の大声に耳を塞いで布団にもぐっていたそうです。
そして、
情と壮は、両親に連れられて東京駅へ。
お母さんが一週間、実家に帰るから見送りに行こう、というのです。
駅のホームで新幹線が入って来ると、母は壮を抱きしめて
「壮ちゃん、ごめんね。」
「ママ、何で泣いてるの? 一週間でもそんなにさみしいんだ。」

両親が離婚したことを聞いたのは、あとになってから。
母が一週間たっても二か月、三か月たっても帰ってこないので
壮が兄に「ママ、いつ帰ってくるのかな?」
すると兄は「壮、知らないの? お父さんとお母さん、離婚したんだよ。」
母は、二人の子供を引き取りたかったが、父は頑として譲らなかったと。
母は、和歌山に帰っても実家にいたのは1週間から10日くらいで、また東京に戻ってきたらしい。
司に会って「子供と暮らしたい。」と言っても何回も跳ね返されたといいます。
家のそばに行っては、二人の息子の様子を物かげに隠れて見ていたそうです。
自分には生活能力がないし、もし、声かけて気づかれたらもう離れることはできないから。
相変わらず、父はほとんど家に帰ってこない。
しかし、時折、生活費を置きに戻ってくることもあったそうですが、袋の中身は二人が生活していくには厳しいものだったと。

なんとか自分でお金を稼ぎたい。
そう思った壮は、近所のゴミ出しの代行を始めます。
ゴミを玄関からゴミ捨て場まで運ぶと、一軒あたり月500円の小遣いがもらえた。
食事は自分で作った。
スーパーで半額になった挽肉を買い、肉そぼろご飯を毎日食べた。
学費の問題も自分のチカラで解決。
トップの成績をとれば学費が免除される中学校に入学。
学年1位をとり続けたといいます。

しかし、状況はさらに情と壮を苦しめることに。
父親が美容品を売る事業に失敗し、多額の借金を抱えるはめになった。
電気、ガス、水道を止められた武井家。
壮は、兄と一緒に入部していた野球部の監督宅へ行き、明るい部屋で勉強を。
兄の情は、中学卒業後に職に就き、レストランで働き始めます。
そんな情には、役者になりたいという夢があり、
色紙に「日本のマイケル・J・フォックスになる!」と書いて自分の机の前に貼っていたそうです。
その後、情はセリフのないエキストラ役で経験を積んでいく。

そして、俳優になる足がかりになればと、ある俳優の付き人になります。
その俳優とは、坂上忍。
坂上忍が持っていた草野球チームにメンバーだった俳優の金山一彦が情を連れてきたこと。
このことがキッカケで情は念願の俳優デビュー、Vシネマへの出演を果たします。


一方、壮はというと、高校卒業後、奨学金を得て、神戸の大学に進学。
大学では、陸上競技に打ち込みます。
すると、
壮が大学に入って3年が過ぎたとき、
家に一本の電話が・・・。父親からでした。
受話器をとると、すすり泣く声が聞こえて、
「壮、お兄ちゃんが癌なんだ。」
「えっ、この間、東京で会ったよ。」
「末期がんで、あと1ヶ月くらいしか持たないんだ。」
驚いた壮は、神戸から東京へ。
病院に到着すると、そこには変わり果てた兄の姿が・・・
壮がひどく衰弱している情に「なにか、食べたいものある?」
すると、情は「お母さんに会いたい。」と。
壮は、父と一緒に何とか母に会いたいと和歌山の実家に電話。
しかし、電話に出たのは母ではなく、母の家族。
「ひどい思いをして、実家に帰らされ、子供と引き離されて、次に会うときが(子供が)死ぬときとは辛すぎる。」
そう言われ、電話は切られたそうです。
そして、
平成7年8月、兄の情は、母に会うことなく、24歳という若さで息を引き取りました。

失意の中、壮は決意!
20代は、目一杯スポーツをやる。
30歳からは、兄貴ができなかった芸能の続きを俺がやる。
その誓いのとおり、壮はスポーツでめきめきチカラをつけ、
平成9年の日本陸上選手権で、
100m走、棒高跳びなど、10種競技で見事優勝!
24歳でスポーツ日本一になったことが世に広まったか、
その後は、有名スポーツメーカーの特待生に選ばれ、アメリカにゴルフ留学。
帰国後は、台湾のプロ野球チームで特別コーチに。
さらには、その後、ゴルフのスポーツトレーナーを務めます。
まさに、オールラウンドプレーヤー。
2021年には、日本フェンシング協会の会長にも就任しています。

壮の母・京子さんは、今、何をしているのか?
番組スタッフが、実家のある和歌山県田辺市へ。
壮の記憶を頼りに実家が見つかったが、
表札は残っていても今は誰も住んでいないことが判明。
しかし、京子さんの従姉妹と会うことができ、聞いてみると、
京子さんは10年ほど前から同じ田辺市で暮らしていたとのこと。
しかし、
2025年12月1日、田辺の病院で76歳で亡くなったと。
最期を看取ったのは、林重夫さんという旦那さん。
再婚していたそうです。
このとき、京子さんは44歳。林さんも44歳。
林さんは警察官で最後は警視庁の警視まで勤めたとのこと。

その後、東京に移り住んだと聞いて、林さん宅を訪ねると、
一度は断られるも、その数日後「取材に協力したい。」ということで
当時の様子を聞くことができました。
再び、東京で暮らし始めた京子さんは
安心して寄りかかれる相手が見つかったことで、幸せな日々を送っており、子供たちにピアノを教えていたそうです。


しかし、京子さんは70歳を過ぎた頃、
身体が動かなくなる病に見舞われ、
2年半の闘病の末、ふるさとの病院で最期は静かに眠りについたということです。
林さんは、京子さんに子供がいることは聞かされていなかった。
話すことで林さんの気持ちに負担がかかるんじゃないかという思いで、京子さんは話さなかったのだろうと・・・。

そして、林さん
京子さんが亡くなったあと、家の片隅にあるモノを見つけます。
カード入れのような布の入れ物。
その中から出てきた物は・・・
愛する息子、大人になってTVで活躍している武井壮のブロマイドでした。


・・・・・・・・・!!!
私も涙がでました。
母は、いっときも息子・壮のことを忘れていなかったんだと。
9月1日の月命日。
壮さんは、はじめて林さんとお母さんが眠る墓地で会いました。

いかがでしたか。
9歳で母と生き別れた武井壮。
なぜ、離婚とわかったあと、母のいる実家に行かなかったのか・・・
私だったら耐えられない。
父が反対しても母についていく。女親を守らなきゃ!と。
あんな外で遊びまくって家に帰ってこないダメ親父と一緒にいたりなんかしない。
それから強いられた兄との二人暮らし。
深い絆を感じました。
「俺が学校行かなかったのは、壮のため。お金かからないように。」
情さんがこう言っていたこと、壮さんはあとになって知らされたようです。
兄弟愛ですね。
しかし、学校の勉強面でもスポーツにおいても
心に決めたあと、目標を達成するまでの努力は、トップを獲るんですから並大抵のものでないと思います。
これからも武井壮さんのハイ・パフォーマンスを期待します。