森山良子◆華麗なる一族その逸話を大公開!娘婿・小木博明の無礼ぶりとデビュー前の直太朗って

TBS『人生最高レストラン』(毎週土曜日 23:30~24:00)

加藤浩次があおやま横町にある居酒屋のマスターで、島崎和歌子が女将役。
毎回、ゲストに人生最高の一品を紹介してもらうトークバラエティー番組に
歌手で来年デビュー60周年を迎える森山良子が来店。

自らの歌手人生の話や家族のことなど、面白おかしく暴露してくれました。

 

 

これから森山さんに行きつけの飲食店を紹介してもらう前に、MCの加藤から
「森山さんは料理するんですか?」
「はい、します。」

作る料理はアメリカナイズされたものが多いという。
以前、豆とひき肉のスパイシー煮込みのチリビーンズを作ったら、
小木が「アメリカの刑務所のメシだね。」と。
「ハァ・・・ッ!?」
しかし、ひと口食べると「うまい!うまい!」と言ってくれたので、最初は腹立ってもチャラになるのよね、と森山さん。

えっ、小木って・・・
そう、あのお笑いコンビ・おぎやはぎの小木博明。
森山さんの娘婿です。

こちらが森山家の家系図。

 

 

森山さんの父親は、トランペット奏者。
父の久氏は、米サンフランシスコで生まれ育って、日本に出稼ぎに来ていたけれど、そのまま家族を持って日本に居着いたといいます。
いとこには、あのムッシュこと、かまやつひろしがいます。

森山さんの義理の息子となる小木博明。

小木が森山さんの娘と付き合い始めた頃のこと。
はじめて彼女の家に行ったとき、
小木は、ソファに寝っ転がりながら携帯メールを打っていた。
すると、そこへ森山さんが帰宅。
帰ってきても、小木はずっとそのままでいるので
「なんだ、コイツ!」
しかし、そのあと、森山さんが紅茶を淹れて持ってきたら、
小木、普通に座り直してひと口飲んだら
「あぁ、香りのいい紅茶ですねぇ。」と言ってくれたので、それで全部がチャラに。(いやいや、ちがう!違う!)

そのとき、慌てて小木が打ったメールが、こちら。

 

 

まったく知らなかったということです。

加藤らが「固まったんだぁ!」
すると、「いやいや、ビビってると思われたくなかったんだね。」と森山さん。

そして、愛息子の直太朗。

直太朗君は、子供の頃はよく家の中でサッカーボールを蹴っていて、ステンドグラスなど割って壊していたといいます。
森山さんは、選手にはなれなくても何かサッカー関係の仕事に就くのかなぁ・・・と思っていたんだとか。
すると、あるとき、ギターを持って直太朗君が森山さんの前に。
「えっ!」
それまで、森山さんは直太朗君がギターを弾けることなど知らなかったと。
直太朗君は「ちょっと聴いて。」
ギターを弾きながら一曲歌ってくれたと。
オリジナル曲だったそうですよ。 スゴッ!
「どう?」
「あら、いい曲じゃない。どうしたの?」
「お母さん、この曲、歌わない?」
直太朗君は、森山さんの楽曲として提供しようとしていたということです。
でも、高校生の曲だったから
森山さんは「それは、アナタが歌ったほうがフィットしていていいんじゃない?」
そう言ったら
直太朗君は、いきなりストリート・ミュージシャンを始めたそうです。
このとき直太朗君は大学2年生。

これが、歌手・森山直太朗の原点なんですね。

 

 

このように、森山家は音楽一家なので、
家の中はいつもジャズや洋楽が流れていたといいます。

母親は、声楽をやっていたので、朝、起きて娘を起こしに来るときも
♪あぁ~、今日はキレイな一日~~♪
メロディー調で窓のカーテンを開けていたそうです。

森山さんは、4歳のときに「自分は歌手になる」と勝手に決めたといいます。
そして、中学に入ってから声楽を学び始めます。
それが、森山さんに敷かれた歌手ロードの第一歩。
当時、フォークソングが流行っていて、上級生はみんなフォークをやっていた。
すると、森山さんと仲良しの黒澤久雄氏が森山さんに声をかけてきたという。
黒澤久雄氏は、あの映画監督・黒澤明氏の息子で”クロパン”の愛称で親しまれてきたインテリ芸能人。

 

 

その久雄氏が、ジョーン・バエズ(1960年代に活躍した米国のフォークシンガー)のレコードを渡しながら「おい、森山。このなかに『ドナドナ』という曲があるから覚えてこい!そして覚えたら、俺んちに来い!」
そこからは、森山さんは毎日、黒澤家に行ってフォークソングの練習に励んだという。
そこには、もちろん、父親の明氏もいた。
いつも腕を組んでニコニコしながら歌う森山さんを見ていたという。
このとき、森山さんは明氏を普通の家庭のお父さんと思っていたが、あとになって、えっ!?
あの映画監督で「世界のクロサワ」と呼ばれる人物であることを知ったそうです。
その黒澤監督は、いつも愛車ジャガーで森山さんを家まで送っていってくれたようですよ。
森山さんから見たら、黒澤監督は優しいお父さんという印象だったと。

そんなフォークソングを歌っていた森山さんが歌手になるキッカケとなったのは、
フォークの集いのようなイベントがあったとき、
イベント関係者から「レコーディングしませんか?」とのお誘いが。
でも、森山さんはライブハウスで歌うジャズシンガーを目指していたから、その旨伝えると関係者のディレクターが「これ歌ったら、そのあと、ジャズ歌ってもいいよ。」と。
これ歌ったら・・・のこれとは、『この広い野原いっぱい』
知っている人多いでしょう。
学校の教科書にも載っていたくらいですからね。

 

 

そのあと、森山さんは歌謡曲の世界へ引っ張られることに。
「あれぇ~~、ダマされたぁ?」
そう思っても「森山良子が歌う曲を何が何でもヒットさせるんだ!」という周りの熱いエネルギーをひしひしと感じ取った森山さんは、彼らの押しに負けて
「もうなんでもいいやぁ」と。
でも、歌えることは幸せなことだと、自分の思惑と少し離れても楽しさを感じながら毎日を過ごしていたそうです。

そんな森山さんが、
今回紹介したお気に入りのお店。
神戸にある本格的な広東料理屋でお好み焼きもやっているという一風変わった食事処が出てきました。
そこは、いとこのムッシュかまやつの行きつけの店で、
店内には、こんな写真が飾られています。

 

 

ムッシュが、米国の世界的ジャズ・トランペッター、ルイ・アームストロングと一緒に写っている。
なぜ?
これは、森山さんの父・久氏が、ルイ・アームストロングの大ファンで、ファンレターを書いていたほどの入れ込みよう。
ルイ・アームストロングが来日したときは、いつも久氏がマイカーでアームストロングをホテルまで送り届けていたといいます。
ムッシュは久氏にトランペットを習っていたので、久氏がアームストロングに会いに行くときはいつも付いていったそうです。
この写真は、久氏が写っていないので、きっと久氏が撮ったものでしょう。

 

 

音楽一家のなかに、一人だけお笑い芸人がいる森山家。
私は、おぎやはぎの小木が森山さんの娘婿だとは知りませんでした。
芸人って、私生活でもやっぱり芸人なんですね。

ムッシュとも親戚だなんて、はじめて聞く話が多かったし、楽しいトークでした。

 

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