高嶋ちさ子の父◆92歳で歌手デビューしたじぃじはあのビートルズブームの仕掛け人だった!

BS12 トゥエルビのトークバラエティー
『鶴瓶ちゃんとサワコちゃん ~昭和の大先輩とおかしな2人~』(月曜日21時)

MCを務めるのは、笑福亭鶴瓶と阿川佐和子。
ともに70歳を超える芸能界の大御所が、毎回、昭和の大先輩をゲストに迎えて楽しいトークを繰り広げる番組に、歯に衣を着せぬ”辛口”バイオリニストで知られる高嶋ちさ子さん
ではなく、ちさ子さんのお父さん・高嶋弘之さんが登場しました。

音楽プロデューサーの肩書きをもつ高嶋弘之さんは、
ちさ子さんの父親であり、また、高島忠夫さんの弟でもあります。

戦時中は、食べ物を弘之さんが兄の忠夫さんに譲っていたほどの兄思い。
忠夫さんは意外と気弱で、いろいろな場面で兄が危険な目に遭うときは、弘之さんが出て行ったそうです。
また、中学3年のときに地元・兵庫で開催された演芸コンクールで優勝したりと、弘之さんは、この頃から芸能界に興味をもっていたとのこと。
そして、新大阪新聞。これは当時、タブロイド版で家でとったりはしていなかったので、弘之さんがその新聞を買いにいったら、映画会社「新東宝スターレット」の募集記事が出ていたと。
そこで弘之さんは、兄はルックス良くて、高校時代はジャズの名手だったこともあり、
忠夫さんに「これ、受けてみたら!」
これで忠夫さんは東京へ行くことに。
なので、弘之さんが新大阪新聞を買っていなかったら、忠夫さんは地元のジャズプレーヤーで終わっていただろうと弘之さんは言ってました。

「スターを発掘する才能がその頃からあったんですね。」と阿川さん。

そして、話は、歌手デビューへ

弘之さんは、なんと92歳にして歌のCDを出しています

もともと歌は好きなようで、時間があれば何かしら歌を口ずさんでいたと。
そんな弘之さんを見ていた事務所のスタッフがコンサートを企画。
2025年10月と2026年3月に小規模のホールだったそうですが、チケットはほんの数日で完売。
コンサートは大盛況だったといいます。

このあと、CDを出したそうなんですね。
歌のタイトルは、『君のいない朝がくる』

これは、9年前に奥さんを亡くしたときに、「あ、そうか、もう君はいないんだ・・・」
そういう思いにかられ、CDを出す話があがったとき「じゃ、そのような歌を作りたい。」と。
タイトルの命名は、作家・城山三郎氏のエッセイにある『そうか、もう君はいないのか』
これに似せた形にしたとのこと。
作詞は、往年の音楽バンド・ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーだった北山修氏。
作曲は、あのピンクレディーの曲など数々のヒットソングを作り出し、2021年4月から2026年3月まで文化庁長官も務めた都倉俊一氏。
その曲がこちらです。

君のいない朝がくる

そしてそして、話題は、ビートルズ初来日の話に

今から60年前の1966年。
イギリス首相から「秘密兵器」と称されたビートルズが、はっぴを着て初めて日本の地を踏みます。
その4年前の1962年、ビートルズが来ることを知らされていた弘之さんは、ビートルズの初代ディレクターに就任することに。

当時は、イギリスの音楽のマーケットが日本にはなかったと。
流行っていたのは、アメリカのエルビス・プレスリーやフランク・シナトラなどロックやジャズ、カンツォーネ、そして、シャンソン。
そのシャンソンが下火になってきた頃に、イギリスの音楽が入ってきた。

弘之さんは、早速、ビートルズの曲を持ってTV局を回ったが、誰ものらなかったらしい。
しかし、東京放送(現在のTBS)の女性ディレクターだけがのってくれたそうです。
男性陣は、過去にヒットがないから今後もヒットしないだろうという考え。
それに対して女性陣は、パッと聴いた感覚で判断するんだと。
そこで、弘之さん、
ビートルズは女性対象で売ろう!
そして、弘之さんは、ビートルズがあたかも日本で流行り出しているかのように、なんと、部下を床屋に連れて行った。

ん、なんのために?

ビートルズが来日する前に、街中にビートルズ・ムードを作り出すため、当時、弘之さんが勤めていた東京芝浦電気(株)のレコード事業部(のちの東芝EMI)の部下にカツラをかぶせて、ヘアスタイルを「ビートルズ・カット」=マッシュルーム・カットにしたそうな。
他の社員には、カツラではなく、クシを水で濡らして頭から前にとかし前髪を垂らしてビートルズ・カットにしたといいます。
そして、週刊誌の記者たちを呼んで、
「東芝、全社員、ビートルズ・カット!」という記事を作らせたそうですよ。

まぁ、なんという大胆な宣伝戦略だこと!

さらには、京橋の洋服店に行き、

えらいことになりましたわぁ~。
実は、ビートルズという英国のすごいグループがやってきまっせ!
彼らが着ている襟なしのスーツ、これ作ったら絶対売れますよ!
権限を与えるから作って!
作ったら私に30着ください!

そんな要請を受けて大量生産された襟なしスーツ
全国の大丸デパートに並んだそうです。

そして、30着作ってもらった弘之さん、
その襟なしスーツをセールスマンと宣伝マン30人に着せて、銀座四丁目や盛り場を歩かせて、そこをTV局呼んで撮らせたといいます。

というような感じで、高嶋弘之さんについて書きましたけど、
果敢な性格でアクティブな人なんですねぇ。

とにかく、92歳にしては、しゃべりっぷりが元気なこと! 驚きました。
また、歌声もとても92歳とは思えない大きく澄んだ声。

結構な年齢を重ねたベテラン歌手が、久方ぶりに自分の持ち歌を歌う場面を目にすることがありますが、もう声に当時のような力強さがなくなっているなという感じがします。
まぁ、歳をとっているんだから仕方ない・・・と思いますが、今回、弘之さんの歌を聴いたとき、「え!? ナニ、この人!」と思いました。

三ケタまでいくでしょう、きっと。
頑張ってほしいです。

娘・ちさ子さんが ”辛口” である理由、ちゃんとあるんですよ。

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